すこやか通信-2023年9月号-

「ドイツを駆ける ~カモメの渡し~」

 ドイツ旅行の最後に、ドイツ人・日本人の誰もが知っている有名人のお話をしたい。
 ドイツでは、「日本のゲーテ」と呼ばれており、日本では教科書にも出てくる。
 森鴎外(本名:森林太郎)である。医者であり、小説家である鴎外はとても興味深い。

 鴎外は、1862年、島根県で漢方医の父のもとに長男として生まれた天才だ。
 幼い頃から論語や孟子、オランダ語といった英才教育を受け、13歳で15歳と偽り東京大学医学部に入学している。17歳で卒業した彼は陸軍の軍医となり、20歳で国から留学を命じられ、ドイツで当時最先端だった医学を学んだ。
 専門は衛生学だ。時を同じくしてドイツに赴きコッホのもとで研究をしていたのが北里柴三郎だ。いわば二人は医者のライバルである。顕微鏡を通して病気の原因が細菌であると突き止めたのは、日本ではこの二人が最初だ。知っての通り北里は破傷風菌を発見してからは、一気にその才能を開花させ、世界のトッププレーヤーとなった。一方、鴎外はのちに軍医としての最高位、陸軍軍医総監督の座に上り詰めた。
 ドイツから帰国してからの鴎外は、医学以外に執筆に没頭する。「舞姫」「雁」「高瀬舟」など多くの小説は勿論、1300以上の翻訳を残している。
 鴎外は、「真理とは生活に有用なフィクシィオンに過ぎない」というドイツの哲学に強く影響されている。神や義務は見えるものではないが「あるかのように」みなすことで社会が成立しているという考えである。

 処女作の舞姫はドイツでの実体験に基づく小説だ。踊り子エリス(ドイツでは奴隷と同じ身分)と恋に落ちた物語。エリスは相手は金持ちだからと母をだまし身ごもる。主人公の鴎外は帰国命令の為、さっさと帰ってしまう。物語はエリスが狂ったところで終わる。だが、実際は、エリスは鴎外を追って日本に来ているのだが、二人は合うことなく返しているのだ。人の狡猾な面と悲しみを赤裸々に表現した名作だ。
 小説家としてのライバルは夏目漱石だ。二人は交代で同じ借家に住んでいる。
 ドイツ留学で哲学的な要素の多い森鴎外、イギリス留学で庶民的な文学の漱石。漱石は社会と人間の関係性や人間が成長するとは何かという普遍的なテーマを表現している。
 鴎外のライバルと言うのはすごい人ばかりだ。

 だが、こんな、森鴎外にも大失敗があった。脚気だ。今でこそビタミンB1の不足と解っているが、当時は脚気菌が原因とされていたようだ。陸軍で一番偉くなった鴎外は兵隊に麦飯を止め白米を振る舞った。当然のように動けなくなる兵士が多発したのだが、鴎外は脚気菌の流行を抑えるため、隔離という方法をとり、更に悪化したのである。死者3万人。のちに、最悪のやぶ医者と言われるのだが、衛生学の立場からは仕方なかったのかもしれない。ところで、森鴎外の名前の由来は何だろう。本名の林太郎は、ドイツでは覚えてもらえなかったというコンプレックスがあった。そこで、住所が、隅田川の「カモメの渡しの外」という意味で鴎外と付けたようだ。子どもや孫にも「マリ」「アンヌ」「フリツ」「ルイ」という名前を付けている。西洋に行っても通じる人間になってほしいという思いからだろう。
 天才、森鴎外にしてこんなものである。
 完璧な人なんていないという事だ。完璧な人生もない。
 人は60点で合格。人生も60点取れれば合格だ。
 私は何とか60点。あなたは?