すこやか通信-2023年5月号-

ドイツを駆ける

 5月の連休を利用してドイツに行ってきた。勿論ドイツ語は話せない。
 では何故ドイツに?
 これには3つの目的があった。#1)ドイツ観光、#2)友人に会うため、#3)日本の医学と介護保険のモデルであるドイツがどうなっているかを知るためだ。
 生粋の日本人から見た現在のドイツを皆さんにご紹介しようとペンを執りました。
 私が行ったのは、フランクフルト、ケルン、ベルリン、ポツダムである。日本で言えば、丁度、大阪、京都、東京、北海道といった具合だ。あまりに沢山の経験をしたので、一つずつご紹介したい。

 まずは、フランクフルト。東京羽田を早朝に出て、夕方にフランクフルトに着く。そんなに早く?と思われるだろう。確かに14時間ほどかかるのだからおかしい話ではあるが、ドイツと日本の時差は約7時間、行きは早いが帰りは倍になる(勿論、飛行機に乗っている時間は同じである)。夕方にフランクフルトに着くと、まず食事。ドイツらしい店を選んで、ビールとソーセージを注文した。ビールは冷えているが日本の近々とは違って生冷たい。後から聞いた話だが、ドイツ人は体を冷やさないようにあまり極端には冷やさないらしい。なめらかで飲みやすい。ドイツ人が水代わりに飲むのも納得である。ワインも美味しいと言うので、焦って飲み過ぎ酔っぱらってしまった。ソーセージも美味い。腸詰めにしたソーセージはパンパンで噛むとカクッと音がして香ばしい感じだ。ここで解ったのだが、ドイツ人はステーキのような肉はほとんど食べない。牛も豚も羊も何もかもソーセージにして食べているようだ。肉とビールと言うドイツの期待はこの後も外れてしまった。

 2日目には、ゲーテ(フランクフルトと言えばの有名作家)ハウスを訪れ、市内観光をした。そして、待望のライン川クルーズに赴いた。ライン川は四万十川の3~4倍の広さであった。大きな貨物船が行きかっていたのでかなりの深さがあるようだ。だが、水は泥色、四万十の風景とは遥かに違い、まるで川とは言い難い。まあ、とにかく乗り込んだ。昔の蒸気船を象った100人乗りの船であった。進行方向、左舷のデッキに座り、約1時間40分のクルーズを楽しんだ。川の両側には、数多くの美しい古城が待ち受けており感動の雄たけびを上げた。
 こんなに城があって、成り立つのかなぁ?そんな思いもあった。歴史を紐解くと、ドイツは実に戦争に弱い国であった。ヒットラーが現れるまで敗戦の繰り返しであったのだ。ドイツの中にはたくさんの国と王様がいて、全体を治める王はいなかった。イギリスやフランスに負け続けたのもこの風景から納得である。
 クルーズの旅はローレライで終わる。小学校の時に習う歌、あのローレライだ。ローレライとは妖精の岩という意味だが、ここで身を投げた乙女が美しい歌声で船曵とを誘惑し破滅させるというハイネの詩で有名だ。舟の右舷に見えると言うので、急いで行ってみた。そそり立つ赤い赤壁がローレライと思っていた私は続けざまにシャッターを押していた。だが、その時である。近くに腰かけていた女性がドイツ語の大声で私に叫ぶ。言葉は解らないが雰囲気で解る。「まだまだ、これからよ」、そんなふうに聞こえた。どうせ言葉は解らないのだから、私も「何言うとるんじゃ、おばさん」と返してみた。10分くらい話しただろうか、彼女が遠くを指差して私の頬に当ててきた。するとそこには人魚のような銅像が立っていた。これだったのだ、おばちゃんは私に「この像を撮らないと」と言っていたのである。解り合った私達は暫くお互いにハグをしていた。言葉の壁ってないね。
 クルーズも終わり最後の古城「オーバーウェーゼル」に泊まり、ライン川を見下ろしながらビールを飲んだ。・・・ソーセージを食べながら。
 まだまだ、ドイツの旅は続きます。乞うご期待。