すこやか通信-2022年6月号-

「らんまん」

 6月にもなると高知県はかなり暑い。
 だが高知で今最も熱くなっているのは佐川町だろう。
 2023年度前期連続テレビ小説(NHK)に牧野富太郎さんがモデルとなっているからだ。
 生誕160年を記念して佐川町が嘆願書を募ったと聞いている。佐川やるねぇ。
 植物学者・牧野富太郎の生涯を描いた長編小説「ボタニカ」が原作となっている。
 でもあなたは「牧野富太郎」の事を知っていますか? 私と同じように名前は知っているがよくは知らないという人が意外と多いのではないだろうか?
 良い機会だと思って、牧野博士について数冊の本を読んでみた。朝ドラを見るのに参考になるかも知れないので今回はこの事を話題にする。

 彼は独学で植物の研究に励み、1500以上の植物を発見・命名した。そして「牧野日本植物図鑑」を刊行し植物の教育普及にも尽力している。また、自ら描いた植物図においても類いまれなる才能を発揮。その正確性・緻密性、さらには美しさも備えた植物図は「牧野式植物図」と呼ばれている。

 彼の何が凄いのか。一つは、全国の山(北海道から九州まで)を自分の足で歩いて自分で標本にし、絵まで書いた事である。若い頃に記した勉強心得の中の「跋渉の労を厭うことなかれ(しんどいことを避けず、植物を探して歩き回りなさい)」を生涯実践し続けたのだ。二つ目はネットワークの構築だ。行く先々で研究者を増やし共に学んでいったことだ。熱意と人柄の良さが覗える。三つ目は世界に向けて発表したことだ。彼が生まれたのは江戸時代。丁度竜馬が土佐を脱藩したときである。新種を発表する時はラテン語で命名し明記し、英語で発表したはずだ。多くの勉強、努力があったに違いない。これが契機となり日本の植物を日本人が命名していく事になるのだから日本の植物学の創始者に間違いない。

 牧野博士を知っていく中で私が気に入ったのは少し違った観点だ。

 彼のおしゃれは尋常ではない。視力は生涯良かったはずなのに40歳からは眼鏡を掛けている。伊達メガネである。事故で右頬に大きな傷が出来たのがきっかけだろうか?(推測だが。)背広は銀座の高級洋服店であつらえた。蝶ネクタイに万年筆、懐中時計も当時の流行ものだ。帽子はボリサリーノというイタリア製の舶来品。佐川の酒造りの商家の生まれではあるが両親、祖父に先立たれた彼は東京に行っても貧乏であった筈だが、悠々とした伊達者であったに違いない。ちなみに彼の好きなものはフランスパンにバターをたっぷり塗ったやつ、モカとブラジルコーヒーのブレンドそしてこんにゃくだ。特にこんにゃくは安いし、いつまでも消化しないから腹が減らないと言って毎日食べたらしい。晩年には耳が聞えづらくなったが「おかげで勉強に集中できる」と喜んだらしい。何とも愛嬌のある先生だ。

 最後に牧野博士の座右の銘をご紹介する。「古人云うあり。淵に潜んで魚を羨まんよりは、退いて網を結ぶに如かず」(淵に臨み魚が欲しいとうらやむより、家に帰って魚を捕る網を結いなさい。)
 彼の心の中にはきっとこんな言葉があったと思う。
 「名なし草などという植物は一本もない」
 成程です。私も帰ってこんにゃくを食べることにします。