福田理事長のすこやか通信-2019年7月号-

 本年9月開設予定の救護施設「誠和園」の建築が着々と進んでいる。
 救護施設は、身体や精神の障害や、経済的な問題を含めて日常生活を送るのが困難な方々が、健康で安心して生活していただく為の生活保護施設です。

 他の障害者福祉施設等とは異なり、救護施設のご利用者には障害の種類といった制限はありません。困っている方であればだれでも必要な時にご利用できる施設です。このため、救護施設は「セーフティー・ネット」と呼ばれることもあります。まさに、制度の狭間で困っている人には、何よりの施設だと思われます。

高知市からの移管をお受けした以上「開かれた施設」と「ユニットケア」を目指してゆきます。

 これに関係した憲法、自立支援法、生活困窮者自立支援制度、生活保護法について勉強しました。

 全ての始まりは、憲法25条1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」です。
 日本国憲法は昭和22年5月3日に施行された。当時アマリカのマッカーサーの影響が強かったと聞いているが、この項目だけは日本人が無理やり入れたものです。
 現行の生活保護法は昭和25年 5月4日、連合軍総司令部の管理下で作られたものである。70年近く見直されていないため、現在の社会にそぐわない所も多いようだ。救護施設はこの時に出来たものなので歴史は古いものであるが、保護施設の意味合いが強すぎて、今の時代には変容が必要となってきている。

 事実、 平成15年4月、国も自立支援法や困窮者支援制度を定め、時代にマッチした方向転換をしたようだ。

 ここで問題なのが、
① 「生活困窮者とはどんな人を指しているのか?」
②「健康で文化的な最低限度の生活とはどの程度のものか?」
③ 「生活保護受給者に対する偏見」
である。

 ①については 原則、生活保護を受けている人、これが行政の見解のようだ。果たしてそうだろうか?仮に財産が有って生活保護は受けていなくても生活費には困っていて、誰かの手助けがないと生きていけない人もいる。ぎりぎりで頑張っている人は本当の困窮者だと思える。また、お金の問題だけでもないと思うのだ。身体的、精神的な問題。家族の問題、DVだってある。社会から離れてしまった人もいるだろう。私たちはすべての人を対象と考えているが高知市の見解はどうなのか。

  ②については、救護施設の多くは、4人部屋、8人部屋が多くプライバシーの保たれている施設が少ないようだ。最低限度の生活はまるで戦後の住むところがあり、食べるものがあれば満たされるといった具合に見える。誰もが携帯電話で話をし、車を乗り回している時代だ。文化的な生活は大きく変わってきているはずだと信じたい。

③についてはこうだ。生活保護を受けている人が、パチンコをしていたり、タクシーで病院に乗り付けたのを見て、「私たちより良い生活をしている。どうなっているんだ。私が出した税金だ。」と陰口を叩く光景を見る。果たしてそうだろうか?そもそも日本は資本主義の国である。自分でいくら稼ごうと自由だし、自分のお金を何に使おうが自由な国である。たまたま、その自由競争に負けて、一時的に補助を受けているのが生活保護受給という事だ。受け取ったお金くらい自由に使う権利はあるはずだ。同じ日本人として、理解しあいたいものである。

 私は、困窮者にこそ、最高の生活と安心を味わっていただきたいと思っています。そして是非、もう一度、社会へ羽ばたき活躍していただきたいと思っているのです。

 建物については検討に検討を重ね、最高のものが出来たと自負しております。入居していただいた方たちには満足していただけると思います。ただこの取り組みは、常に社会と繋がっていなければ成立しません。皆さんの温かいご協力と行政のお力添えを切に希望いたしております。