福田理事長のすこやか通信-2019年10月号-

  誠和園開設の際には皆様に大変お世話になりました。まずはお礼を申し上げます。お陰様でやっと肩の荷が降りた思いです。

  それにしても、毎年9月は壮絶な忙しさだ。誕生月というのもあるが、催しが山積みになっている。毎日の診療に加え、NPO全国の集い、総会、理事会、有床診療所連絡会、敬老の会。今回は誠和園の開設も加わり猫の手も足も借りたい程である。やっと10月に辿り着いたと思ったら、ほっとしたためか虚脱感に襲われた。

  自分を奮い起こそうと思って、「自分を動かす名言集」などを読みあさったが、しっくりこない。いま日本で一番熱い人を探してみたところ、世界で一番有名な人は誰かを調べてみた。答えはサッカーの本田圭佑選手であった。私も昔はサッカーをしていたが、若い人にはあまり関心が湧かない。

 いろいろ調べてみたところ、面白い事があったのでここで是非紹介したい。今、私が一番会って話を聞いてみたい人物である、と言っても過去の人である。名前は「葛飾北斎」。本名「川村時太郎」ごく普通の名前だ(1760~1849年)。その後、鉄蔵、春朗、宗里など次々と30回も改名している。言わずと知れた日本一の浮世絵師である。アメリカの「LIFE誌」が「この1000年で最も偉大な業績を残した100人」という特集を組んだ際に日本人で唯一選出された人だ。日本よりむしろ世界で評価を受けている。

 この人、実に面白い。江戸時代、当時は平均寿命が50歳であったにもかかわらず90歳まで生きている。20歳ごろから、画家、脚本家、薬剤師など多くの才能を発揮している。日本版レオナルド・ダ・ヴィンチだ。

  多くの師匠につき、いろんな技術を身に付けるも、全て破門になっている。変わり者であったことは間違いない。93回も引っ越しをしているというのだから、貧乏であったのか、整理整頓が出来ずに家を替えたかである。

  彼は40歳から浮世絵師となっているが、有名になったのは60歳ころからで、それまではむしろ漫画家であった。有名な富嶽三六景はこの頃に出来たものだ。波の間から富士山の見える構図は最高だ。

この北斎、75歳からは肉筆画に没頭している。名前も「画狂老人卍」という名前に変えている。晩年を迎えてもなお意欲は衰えず新たな世界に挑む姿には感動する。

 北斎のデッサンはかなりの実力で西洋の芸術家を熱狂させた。ゴッホやダヴィンチも大きな影響を受けていると言われる。しかし驚くことに、北斎の実力が認められたのはひょんな出来事からだった。当時、ジャポニズム(日本のものは美しい)の影響で日本の陶器がヨーロッパに送られた。その包み紙が北斎の描いたデッサンであったというのだからお立合い。神様の贈り物だろうか。漫画のような話だが、「事実は漫画よりも奇なり」。

 もう一度、意欲を出さなくては…。
 長生きはするものだ。