「八月十五日はクールで、十一月二十九日は冷たいと思われているようだ。しかし珍しく、貴重な存在という点では同じで、そんな父親を持つと、努力する苦労が絶えないが、それがいい」
偉大なる余人をもって代え難い、福田善晴の愚息である私が、このすこやか通信を今回担当させてもらうことになった。締め切りは2日後、と言われて(笑)、文章を書くのは好きではあるが、今までの「すこやか通信」を見返すと、、、もう少し時間を欲しいと感じざるを得ない。
今年の夏は暑く、カルテを見ていると8月のカルテには「熱中症に注意を」、10月初旬のカルテでも「暑い時は水分補給」などと患者さんにアドバイスしている。これを書いている11月7日は昼もいよいよ寒くなってきたようだ。というのも、医者はあまり自分で季節感を感じない人が多いと思っている。ずっと建物の中にいるので、その日の昼間寒いかどうかなどは分からない日が多く、患者さんに教えてもらうことが多い。
さて働き方改革というものがある。これを大病院でやると、救急医療は間違いなく崩壊する。政府は分かっているのかな?一度最終拠点病院で循環器の責任者をしてみたらいい。夜間当直を月6回、内科全般と循環器当番を入れると、病院へ10分で駆け付けられる範囲にいないといけない日が月に20日となると、フリーの日は月に5日もないことになる(その5日は全て県内外や海外の学会発表、自己研鑽でのカテーテルライブセミナーや、豚さんの心臓手術セミナーに割り当てられる、ちなみに、夏休みもそういった研修に当てる、いつ休むのか?それなりに、だらだらできる時間もありますよ、としかいいようがない)そんな環境でずっと働いてきたので、同じことをやってみてほしい。そういう人がいないと成り立たないのが現状であり、一時期の自分はそれなりに地域に貢献した、政府に一言くらい言ってもいいだろう、という程度の自負はある。昔からそうであるし、そでなくてはいけない、とすら思うが最近は考え方も変わって来ているな、と思うことも多く、少し寂しく思うが。
私の父親、福田善晴も若手医師として働いていた頃、私は小学生低学年であったが、父親が家に帰ってくることが少なく、というかほぼ会ったことすらなく、私の学校行事に参加したことなど一切なかった。キャッチボールは当直明けの父親を母親が無理やり起こして、1回だけした。眠そうな父親の姿が今も忘れられない。
徳島大学の医局に入り聞いたが、ずっと病院に泊まり込んで、技術を磨いていたそうだ。そんななか、小学校の1日教師として、「学歴社会は間違っているけども現状仕方ない。ただ医者になろうと思う奴は、自分が泳げなくても溺れている人がいたら飛び込める奴がなればいい」という強烈なメッセージを残した。普段はざわつく4年3組の教室の誰もが45分間聞き入っていた。その言葉を聞いて、医者になったという同級生もいる。
私は父親から医者になれと、一言も言われたことがない。ただただ憧れる存在であったため、同じような医師になりたい、と思い医師の道を選んだ。私も同じように「福田は病院に泊まっているのではないか?」と働く病院では必ず言われるようになった。実家に帰るときは、「医師として当時の医療技術で、できる範囲で救急医療も含めやりきった部分もあり一区切りだな」と感じたが、父親の外来や生活をみてみると、衝撃だった。最新の治療をしてきた自分よりも医学においての知識は深く、患者さん思いで、何事も器用にこなし、それでいて分からないことをそのままにせず、勉強を毎日怠らず、判断力は漫画(JOJOの奇妙な冒険)にでてくるキャラクター(ここでは空条承太郎とは書かず、2部のジョセフ・ジョースターと書かせてもらおう!)のようであり、戦国武将の前田慶次のごとき傾奇者でもある性格は、非常にしかし人格者で、私以外の恐らく国民誰もが一目も三目もおくだろう、医師のなかの医師であった。医師の鏡であった。
私が一宮きずなクリニックを開業する年齢で、父親は1日教師をしている。医師にとって必要なのは、技術ではない。やはり医師たりえたる、強い正義の信念を持つことを、いつも背中で教えてくれるのが福田善晴医師である。私は父親が世界で最も弱い生き物なら、それよりも強ければいくら弱くてもいい、と思っている。ただ、たまたま父親が私にとり、世界最高の医師であったので、今も勉強をしているだけのことである。この上なく幸運であるが比較されるからアンラッキーと思う人もいるだろう。
クールなほずみ(八月十五日)さんはそう言うだろうか?冷たい奴と思われているつめづめ(十一月二十九日)さんもそう思うだろうか?そう極めて珍しい苗字の人(日本に30人以下の苗字だそうです)と同じく、極めて珍しい父親のもと生まれて育てられた私はかなりラッキーな方だろう。なぜなら、私は相当自堕落な性格なので、せめて父親を世界最高にしてやろう、そうすれば多少は勉強する奴になって他人の役に立てる人間になるかもしれない、と神様からの救済措置だと思っているからである(笑)。ただ全く同じ人間などなれるわけはないので、私なりに尊敬する父親を越えた、と他人から言われる日を夢見ながら、日々勉強し、自分なりの理想の医師像を作り上げ、親父とは似ているが違う医師になったな、と言われてもいい。そして、そのくらいが丁度いい塩梅なのかもしれないな、と思いながら、つい先日医学出版社から単独では4冊目となる、ついに心エコーではなく「心臓リハビリテーション」の医学書の執筆依頼が来たので、名前と時間の叙述トリックを使った推理小説調でその医学書を書いている最中に、この「すこやか通信」を書かせていただく機会をいただけたことに感謝します。
(医)大和会 一宮きずなクリニック院長 福田 大和