福田理事長のすこやか通信-2020年9月号-

医師(おそらく医師以外の医療従事者も)としての経験とは?

 厳しく、多く、質が高いものほどいい、というシンプルなものである。あとは「さぼらない」ことが大前提と教えられました。

 実は私は人生の半分を高知県で過ごしていません。徳島や香川、栃木、京都、米国フィリー(ペンシルバニア州フィラデルフィア)に住所を移して住んでいる期間の方が長いことになります。一番長く住んでいるのは高知ですが。

 最も衝撃を受けたのは留学中の米国です。私の計算では2人に1人は銃を所持していることになるからです。お年寄りや障害者より先にエレベーターにのってはいけないのは他人を警戒しているだけ、に私にはうつりました。権利意識が強い米国では、社会的弱者がエレベーターに先に乗るのは当然、というメンタリティーなので、先に乗って、後ろから80歳のおばあちゃんに撃たれる、という恐ろしさで、先を譲っているだけに感じました。

 その次は国内ではダントツ「高知」です。日本の奇祭でトップに入る、ドロメ祭りがある、というだけでもすごい。さらに酒にかける金額が偏差値90を超え2位の東京をぶっちぎりで抜き、全国平均の3倍の金額、そしてそれを恥じず、高知は酒文化推しの県庁の県策(違ってたらすみませんね)。私は天邪鬼なのでもう3年近く酒を飲むのをやめています。酒は百薬の長だとか、脂肪分をたくさんとるフランス人がアメリカ人やイギリス人より心筋梗塞になりにくいフレンチ・パラドックスは赤ワインのポリフェノールがいいだとかは、少し無理があることは言われている(それよりもストレス説や性ホルモン説の方が正しそうである)にもよらず、です。

 私は京都第一赤十字病院に入職後に、そこで働くつもりが、実家の都合で半年だけが、2年以上高知にいることになりました。ただ今となっては4年目が実質2年目くらいの遅れての研修かと思いきや、両親の想い、開業医の苦労を知った上での研修だったので、徳島大学の第二内科に入局したときから、すでに周囲より有利だったことに後から気づきました。毎日、私にとって世界一の名医である福田善晴医師の横で外来をしながら、どんな処方をしているかを真似でき、患者さんとの向き合い方も隣だと似て来るし、「真似るは学ぶ」に非常に繋がっていました。つまり日本でも珍しい。教える程しかいない、開業医の息子で、研修医の時間を実家で過ごす、という行為は他の誰もがしていない行為で、しかも師匠が親父殿であったので充実した日々でした。自分の外来が終わっても、何か手伝えることはないか?この人になぜこの薬なのか?を後から回診のときに聞けば理由は分かります。家でも勉強し続ける両親をみていると、なんだか遊んでいるのが悪い気になっていて自分なりに勉強していました。

 ちなみに親父殿は徳島大学から高知へ送り込まれた一人で、高知赤十字病院に転勤となり、高知が好きになり、そのまま、今でいう「移住」したことになります。徳島大学病院では、なんでも吸収したい私にとっては、直接のオーベンや上の医師が帰るまでは絶対に医局にいるようにして、誰よりも朝一番に行くように、またバイト先でも徳島大学の名を汚すことがないように心がけました。特に土曜日のバイト先の院長は専門は整形外科で、最も忙しい土曜日で救急車も受け入れていましたので、救急医療も私がしていました。

その後の国立善通寺病院は、中讃の最終拠点病院で、担当した入院患者さんを月ごとに張り出されます。内科のぶっちぎりの1位と2位は決まっていて、消化器のだいぶ上の先生と私で、年間だと入院患者さんが1位が900人で、2位の私が750人くらいです。3位が350人と書けばどのくらいの人数を診ていたかわかってもらえるでしょうか?3位でも相当な人数です(毎日1人の入院がある計算です)。200人の医師もいるわけですから。ガリレオに、「地球は確かに回転しているが、思ったよりも回転が早いようですよ」と新説をウィキペディアに書きたくなるほど、少しだけ違う同じ病気の患者さんを何度も診てきました。特に救急に力を入れている病院だったのでどんな患者さんも断りません(特別な場合を除いて)。しんどいけど正のスパイラルにはいった感じで「とりあえず他人が治療しているのをみたことある」、とかではなく、「担当して診断・治療したことがある」、という疾患が増えると、しんどくなくなってきます。新しいことを始めるのは辛いのですが、2回目3回目となってくると、1回目に相当勉強しているので、楽で、4から5回目となると論文がかけるようになるほど詳しく調べているようになっています。そうなると同じ疾患は循環器疾患でなくても私に全て回って来る、ということで、750人診ていました。

 医師同士「助け合うには自分から」ということを一貫し、患者さんを断らない方針の病院でしか働いていないので、「さぼらず」、自分を「厳しい環境」にあえて置いて、厳しく教えられたことを常に心がけるようになりました。しかし最も良かったのは、そういうことをしていると、親父を含む、国内留学などせずとも、腕の良い多くの医師に多く巡り会える(会わせてくれた)ことが今の自分の財産です。「さぼる」と良い指導者に巡り会えません。さぼる人に教えたい人っていませんよね?「さぼらなくてよかった、これからも研鑽しつづけよう」と思う次第です。

一宮きずなクリニック 院長 福田大和