福田理事長のすこやか通信-2020年3月号-

「ノーリフトケア」

 これは今後、秦ダイヤライフで取り組んでいかなければならない大きな課題である。持ち上げない、抱え上げないケアはスタッフの腰痛予防のみならず、利用者にも優しいケアだからだ。これが、最も普通に行われているのが、オーストラリアだ。いや、出来ていないと施設として、病院として認められない所まで来ている。

 そこで、この実態を知るべく、世界で一番住みやすいというオーストラリア、ヴィクトリア州、メルボルンに行かせていただいた。高知県から各施設で興味のあるもの20名が参加した。

 日本ノーリフト協会代表の保田淳子さんとご一緒させて頂いたのだが、2泊3日の強行軍であったにもかかわらず、とても有意義な経験を積ませていただいた。保田さんは長年、オーストラリアで暮らされていたので、英語も堪能で知り合いも多く、同時通訳していただいて、ノーリフトの意義と必要性を短時間で理解する事が出来た。ノーリフトの実現には、日本には無い新しい設備も多く見られたが、むしろ、人の働き方や行動に、目を見張るものがあった。

 例えばだ。歯磨きをするとき、皆さんはどう歯ブラシを使いますか。歯ブラシと腕を同じ高さにして横から持つ人。下から支えて持つ人。いろいろ居ると思うが、正解は下からである。肘や肩を痛めないためだという。すべての行動に、普段何気なくしていることも見直して、身体を大事にすること、これがノーリフトの基本のように思えた。

保田さんの介護の取り組み方を変えた出来事にも、触れることが出来た。
 「介護施設のお年寄り、千切り絵をしていた。私が通りかかった時に、一枚落とした。咄嗟に拾った私。その時のご老人の一言に衝撃を受けた。あなたは三つのチャンスを逃しましたね。一つは私に拾いましょうかと聞かなかった事。私が動けるかどうか知るチャンスでした。二つ目は動いた時に痛みがあるのかどうか知ることが出来ました。三つ目は私の動こうという意欲を奪ってしまった事です。ニコッとして話すご老人には全く悪ぶれた所はなく、喜んでくれた様ですが、確かにと反省、驚愕の一瞬でした。」
 保田先生のお話は私も考えさせられる内容だったのでご紹介します。

 メルボルンはオーストラリアの南端にあり、もうすぐ南極という場所である。つい最近、全豪テニスがあり、日本人の活躍はご存知のとおりである。特に車椅子の部では、男子・国枝慎吾選手、女子・上地結衣選手がそれぞれ優勝という快挙を成し遂げた。国技がテニスであるオーストラリアではスターです。

 2日目の夕食、なんと、上地選手そしてヴィクトリア州松永一義総領事(外交官で最も偉い方)とテーブルを共にすることが出来た。松永さんは今回の全豪テニスをサポートされた、パラリンピックもお世話をされている方です。その会食中での話で思い出に残ることが3つある。

 一つは、オーストラリアと日本の四国とは意外にも縁があること。江戸時代、鎖国中にオーストラリア人が徳島の牟岐町に漂流していたこと。鎖国中であったため隠されていた事実であるが、徐々に明らかになってきたという事である。

 二つ目は、ペンギンのパレードの話だ。メルボルンの海岸には夕方になるとペンギンが行列を作るそうだ。漁に出た親ペンギンが口の中に魚をいっぱい銜えて帰ってくるのだ。子供達に食べさすために巣に帰ってくるのだ。その時、上空にはカモメが群がるそうだ。ペンギンを狙っているのではなく、口の中の魚を狙っているのだ。見ていると一匹は上陸するが少し進むと立ち止まる。そして、一人では鳥の群れを突っ切れないと知ると後ろを振り向く。それを見てみんなが一斉に行列を作って進むらしい。滑稽にも見えるが、一致団結する姿は微笑ましいものだという。

三つ目は東京オリンピックの話である。日本はパラリンピックのために力と費用を費やしているというが、気に食わないとの事であった。動く道路、エスカレーターを障碍者のために増やしているというものだ。実際、恩恵を受けているのは健常者ばかりである。動く道路は健常者優先で使われているし、エスカレーターは車椅子では乗れない。実際に車椅子に乗ってみないと視点がずれているのだ。日本に帰り動く道路に乗ってみると、隣の普通の道では車椅子を押した人が大汗をかいて追い越していく。私たち利用者も考え方を変えないとパラリンピックは恥ずかしくて行えない。

 以上、思い付きのままに書かせていただきました。
 因みに、意外に美味しかったものは、カンガルーのお肉でした。多国籍の人が集まるオーストラリアでは、5年ほど前から、風習が変わってカンガルーも食べるようになったそうです。